TITLE「キャメロット」

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2016/03/12
カテゴリ:ドラマ, ミュージカル・音楽

泣きました。

素晴らしい作品です。

アーサー王伝説を題材にした舞台劇「キャメロット」のミュージカル映画化作品、長尺の180分ものとあって、なかなか手が伸びない方も多いのではないかと思います。

私もそんな一人でしたが、今回初めて鑑賞してみて、あんまりにも感動したので、このブログを読んで下さった方には是非観て頂きたいな、と思います。

 

長尺映画の前半最後(インターミッションの手前)って、その作品のクライマックスに匹敵する名場面が多い気がします。

映画「風と共に去りぬ」なんかまさにそうですよね。

 

「風と共に去りぬ」前半最後のシーンより。

 

憔悴しきったスカーレットが焼け野原と化したタラの大地に立ち、空腹に耐えかね、畑のやせ細った大根に飛びつきかじる。

だが弱った胃が受け付けず、吐いてしまう。

その惨めさと屈辱感の涙を流し、荒れ果てた大地で力を振り絞って誓う。

 

「神よ お聞きください

この試練に私は負けません

家族に二度とひもじい思いはさせません

生き抜いてみせます!

たとえ盗みをし 人を殺してでも!

神よ 誓います

二度と飢えに泣きません!」

 

そう、このシーン。

それはもう感動の嵐です。

まさに映画のクライマックスと言っても過言ではありません。

 

そしてこの「キャメロット」の前半最後のインターミッションに入る前のシーンがまた感動必至なのです。

 

最愛の妻グエナヴィアと盟友ランスの裏切り(浮気)を知ったアーサー王。

この罪を、どう王として扱うのか。

苦しみぬくアーサー王。

だが、復讐に何の意味があるというのか。

涙ながらにキング・アーサーは独白します。

 

「私は王だ。

愛する者を破壊して――立派と言えるか

自分だけを愛して 立派だと言えるか

彼らの苦しみは?

苦悩は?

彼らがこの不幸を求めたのか

愛情は選んで手に入るのか

私に対する2人の気持ちに疑いがあるのか

神よ

私は王なのだ

今はこのアーサー王の時だ

星に手を届かす時だ

アーサー王の時では

暴力は力ではない

情は弱さではない

我々は人間なのだ

決めたぞ

この苦しみを越え

ともに生きるのだ

エクスカリバーの剣よ

2人と――お前と私で生きよう

神よ われら全員にあわれみを」

 

そして、円卓の騎士たちが現れ、戦い(暴力)ではなく、法(非暴力)による政治を目指す王の決意と重なり、大きな感動を呼ぶのです。

リチャード・ハリス演じるアーサー王がもう素晴らしすぎて、惚れました。

ほんっとにかっこいいです。

この名場面での演技は、主演男優賞ものだと私は思います。

胸にグッと迫るまさに迫真の演技でした。

 

また、後半も見どころ満載です。

グエナヴィアとランスの道ならぬ恋の切なさと、それを知るが故のアーサー王の苦悩。

愛する者たちを守りたい、だから気づかぬふりをする。

だが、周囲に知られていき、どうにもならない状況になっていく。

現場を押さえられ、もう逃げ隠れ出来なくなったグエナヴィアとランス。

明るみに出てほしくなかったアーサー王。

陪審員による判決により、死刑(火炙り)に処されるグエナヴィア。

処刑の日、アーサー王はうつろな瞳で部屋に閉じこもっている。

王は待っているのだ。

ランスが妻グエナヴィアを助けに来ることを。

死刑の最終決裁者はもちろん王であるアーサーだ。

だが、愛する妻を殺したくない、だから、愛人であるランスに助けに来てもらいたい。

・・・何という愛だろう。

この切なさに胸が痛くなります。

 

そして・・・もちろん助けにきます。ナイト・ランスが!

 

その後、森で落ち合う3人。

グエナヴィアは裁きを受けたいとアーサー王に申し出る。

だが、それを拒み、別れを告げるアーサー王。

涙でぐしゃぐしゃになった顔で、グエナヴィアは苦しかった心の内を、愛する王に打ち明ける。

このシーンは、本当に号泣です。

かなりネタバレしまくってすみません。

 

傷つき、疲れ果て、妻も友も理想の王国も失ったアーサー王。

 

だが、ひとりの少年に出会う。

ここに希望が隠されている。

 

それは、映画を観て確かめてほしい。

素晴らしいオチが待っているので。

 

 

マーケティング部A子

 

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